弓と矢

弓と矢

壬辰倭乱当時にも弓と矢は朝鮮が日本に比べて優秀だった。性能面でも朝鮮の弓矢は日本軍の弓矢よりその威力が大きかった。日本の弓矢は尹根壽が“敵兵がはじめは木弓で矢を撃ったが、矢の力が強くなかった。”といったように、単一弓の木弓で朝鮮の角弓に比べて性能が劣っていた。

この点は西欧の宣教師らの目にもそのまま伝えられた。ルイス・デ・グズマンが自身の著書《宣教師たちの話》で朝鮮人が弓と矢をとても上手に使うと評価し、ルイス・フロイス神父も朝鮮人に対して“非常に力が良く弓と矢をとても上手に使い、彼らの弓はトルコの弓のように小さい。”と言った。

このように弓矢に優れた性能が見られたのは我が国が昔から伝統的に弓術を重要視したためだ。弓術の重要性は火薬武器が登場した以降も長い間強調された。その理由は火薬武器の普及が広範囲にわたってなされなかったためでもあるが、弓矢が火薬武器の様々な欠陥を補完できる長所を持っていたためである。特に朝鮮は官吏の素養の中の一つに弓を射ることを推奨し、弓を射ることが徳を養う一つの手段として広く活用された。したがって武科で弓矢は最も基本的で代表的な科目に採択された。

片箭 片箭

朝鮮の弓矢の中で最も代表的なものは角弓と片箭である。角弓は貊弓に起源をおいているが、我が国だけの独特な技術で作られ、その弾力性が外国の弓を凌駕した。このような点は1488年(成宗19)に朝鮮にきた明国使臣董越が“朝鮮が使う樺皮の弓は中国製のものに比べて若干短いが、矢が飛んでいく力は非常に強い。”と評すほどであった。ここでの樺皮弓はまさに角弓を指す。

また、片箭は矢が小さくて別名‘エギ矢’といわれているが、矢が小さく軽い代わりに加速度が大きく貫通力が大きかったために、歩兵戦はもちろん騎兵戦でも大きく活用された。特に片箭は千歩以上飛んでいくというほど射程距離が長いので、朝鮮の最も重要な秘密兵器として活用された。このような点から朝鮮の片箭は中国の槍、日本の鳥銃と共に天下第一と評価されたりもした。

片箭 片箭

弓矢と共に戦闘用に使われた武器に‘セネ’と呼ばれる弩がある。弩は弓をより発展させた武器として、弓が多くの力と技術、そして練習が必要なのに比べ、力が弱い女子供も簡単な操作技術だけ習えば使用できる武器であった。弩は伝統的な弓に比べて、より一層正確で弓より重い矢を発射できる長所があった。しかし、弓よりは発射速度が遅いのが短所のため、戦闘では弓と弩を一緒に使ってお互いの弱点を補完した。特に弩は埋伏や伏兵するときに活用度が高く、朝鮮時代には北方野人の侵入路に配置して大きな効果が見られた。

1592年11月、柳成龍が宣祖に賊情を報告する文で“聞いたところ慶尚左兵使朴晋は数ヵ所の敵陣を打ち壊すとき連弩と震天雷を使いましたが、敵はこれに恐れたそうです。”と伝え、当時弩の戦術的効果が優れていたことを言及した。洛東江沿岸で活躍した義兵らが弩を使って日本軍を大撃退したという記録もある。

セネ セネ