火薬兵器

銃筒とは火薬の爆発力を利用して各種矢や弾丸を発射する兵器をいうが、これら銃筒は朝鮮軍の主力火器として弓矢とともに使われた。

壬辰倭乱当時、朝鮮軍が使った火薬兵器には勝字銃筒・大勝字銃筒・中勝字銃筒・小勝字銃筒・別勝字銃筒などの小型火器と天字・地字・玄字・黄字・別黄字銃筒などの大型火砲、飛撃震天雷のような爆弾、神機箭機火車・銃筒機火車のような多連装発射機など多様な火器がある。

これら火器は高麗末に崔茂宣が開発した以降、持続的に発達したにもかかわらず、日本軍が所持していた鳥銃よりは一段階低い水準の指火式火器(手で直接火をつけて射撃する方式の火器)であった。したがって照準射撃よりは一団の密集大型をなした敵に指向射撃を中心に使われた。もちろん小勝字銃筒のように一部の場合、既存の火器を改良発展させて、照準射撃がある程度可能な火器もあるが、依然として指火式火器の限界を抜け出すことはできなかった。
もちろん多連装発射機である火車・時限砲弾といえる飛撃震天雷などは、当時の最先端技術が集約された武器といえる。

天字銃筒 天字銃筒

火車は車の上に100ヶの中神機箭(ロケット)が装填された神機箭機または四箭銃筒50ヶが装着された銃筒機の枠を設置し、車の前と横には刀と槍をさせるようにした。発射は銃筒ごとにまたは神機箭の導火線に火をつけることによって、それぞれの導火線を互いに連結さえしておけば一本の導火線に火をつけて、全体の矢を連続的に発射することができた。このような火車は短時間に強力な火力を発射でき、密集した目標攻撃に最も大きな効果を発揮した。したがって防御戦と攻撃戦に広く使われ、敵に与える衝撃力が最も大きい武器の中の一つになった。今日の多連装ロケットや戦車(Tank),自走砲(Self-propelled artillery),装甲車(Armored car or carrier)の原形ともいえる。

火車 火車

また、飛撃震天雷は火砲匠の李長孫が開発した朝鮮の独創的な爆弾で銑鉄で作り、模様は丸く中に火薬と鉄くずを入れた。当時使われた火器が目標物に衝撃を与える武器だったのに反して、飛撃震天雷は目標物に飛んでいって爆発する金属製爆弾である。火薬の導火線の長さを利用して爆発時間を調節した時限爆弾であるが、慶州城奪還戦闘で凄まじい威力を発揮した。日本側の記録によれば‘突然爆発する音が天地を揺るがし、鉄くずが星くずのように散って、当たった者はその場で死に、残りは暴風に倒れた。’そうだ。
撃つ順序は以下のとおりである。

飛撃震天雷 飛撃震天雷

1. 鉄球の中に鉄くずと火薬を入れる。
2. 蓋をしめて導火線に火をつける。
3. 砲口に入れて敵に向かって撃つ。したがってこの武器は陸戦だけでなく海戦でも有用に使われることとなった。

一方、朝鮮水軍が海戦で連勝を収めることができた要因のうちの一つであった大型火砲は、高麗末から改良されて発展した。壬辰倭乱当時には朝鮮水軍が運用した亀甲船と板屋船に装着され、艦砲戦で日本水軍を圧倒した。当時、火砲の諸元と性能は以下のとおりである。

火砲名 長さ(cm) 口径(mm) 発射物(『火砲式諺解』) 射程距離
天字銃筒 130~136 118~130 大将軍箭 1発, 鳥卵弾 100発 900歩, 10余里
地字銃筒 89~89.5 105 将軍箭 1発, 鳥卵弾 100発 800歩
玄字銃筒 79~83.8 60~75 次大箭 1発, 鳥卵弾 100発 800歩, 1500歩
黄字銃筒 50.4 40 皮翎次中箭 1発, 鳥卵弾 40発 1100歩
別黄字銃筒 88.8~89.2 58~59 皮翎木箭 1発, 鳥卵弾 40発 1000歩

壬辰倭乱のとき、日本水軍は昔から伝えられてきた固有の登船肉薄戦術を使った。この戦術は船舶の上に飛び込んで個人携帯武器を利用して敵を殺傷する短兵戦術(白兵戦)であったが、主に略奪船舶の船員を殺害して物品を奪うための倭寇の戦術に起因したものといえる。以後、16世紀中盤に鳥銃が伝来し、既存の短兵戦術の他に鳥銃を活用した射撃戦術が追加されたが、全体的な戦術変化は大きくなかった。

これに反し、朝鮮水軍は大型戦艦の前後左右に装着された各種大型火砲を土台に艦砲戦術を駆使し、戦艦を利用した撞破戦術、火攻戦術を駆使した。特に朝鮮軍の火砲は日本軍の鳥銃に比べて射程距離が格段に長かったため、接近していない状態でも敵を攻撃できたので、陸戦とは異なり朝鮮水軍が絶対的な優位を占めることができたのである。