長林浦海戦 (1592. 8. 29)
朝鮮艦隊 | 日本艦隊 | |
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司令官 | 李舜臣, 李億祺, 元均 | 不明 |
兵力 | 板屋船と小舟を含め、約74隻 | 6隻 |
死傷者および被害 | なし | 6隻破壊 |
李舜臣将軍は戦闘がない間、戦船を建造して全羅左水営と共に戦法訓練をした。全羅連合艦隊は慶尚左水営側から日本艦隊が金海から出港して下ってくるという消息を聞き、8月24日に出戦した。全羅連合艦隊は釜山の方へ向かいながら、日本戦船を8月28日まで探索した。8月29日になり、日本戦船を東莱にある長林浦で発見して全て撃沈した。
釜山浦海戦 (1592. 9. 1)
朝鮮艦隊 | 日本艦隊 | |
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司令官 | 李舜臣, 李億祺, 元均 | 大部分の日本大将たち |
兵力 | 74隻の板屋船と92隻の小舟 | 470隻 |
死傷者および被害 | 鄭運および6人の朝鮮水軍死亡, 25人が負傷 | 130隻破壊 |
絶影島での戦闘後、李舜臣将軍は釜山浦へ探望船を送った。探望船は470隻余りが釜山浦に停泊中であるのを発見して朝鮮艦隊に戻った。朝鮮艦隊は釜山浦へ向かい、まず日本戦船4隻を撃沈して長蛇の列をつくり敵陣に突撃した。日本陸軍も日本艦隊に合流して周辺の丘から朝鮮艦隊を攻撃した。しかし、朝鮮艦隊はこの海戦で大勝を収めた。その後、戦船を修理し、兵糧が不足していたため本陣に戻った。李舜臣将軍の艦隊は9月2日に本陣に到着した。