トラファルガー海戦はナポレオン戦争時代に起きた最も有名な海戦だ。西ヨーロッパの大部分を制覇したナポレオンは、彼の帝国を東にさらに広げてイングランドを征服しようとしたが、これはトラファルガーでネルソンとの戦闘ではかない夢になってしまった。トラファルガー海戦はイングランドの勝利で終わり、以後イングランドは数年間海の支配者として残ることになった。
歴史的背景
ナポレオンの野望

ナポレオンは本来海軍将校になろうと思っていたが、彼は砲兵将校にならなければならなかった。王族と貴族の子弟だけが海軍将校になることができたためだった。フランス革命が起きたとき彼の年齢は20歳だったが、1793年のイングランドとの戦い,1795年のオーストリアとの戦いであっという間に名声を得るようになった。1797年にナポレオンはオーストリア-ハンガリー帝国の首都であったウィーンへ行って降伏するように強要した。これによって、1797年10月17日にオーストリアはカンポ・フォルミオ条約に誓約し、オーストリアの領土を割譲することになった。このようにナポレオン戦争の最初の章が幕を下ろすことになり、彼はイングランドに関心を示すようになった。
ナポレオンは1797年にフランス人を説得して、イングランド王政が必ず自分たちによって崩れ、ヨーロッパ全土がフランスの支配下に置かれるようになるだろうと説得した。このように戦争名分を作っていき、彼はイングランド侵略のためにすべての力を海軍をたてるのに注いだ。しかし、イングランド侵略計画はネルソン提督とイングランド海軍に遮られることになった。
アミアンの和約が1802年に調印され、イングランドとフランスは約14ヶ月の間平和に過ごしていた。この時期ナポレオンは強力な権力を積み上げていき、ついに1804年12月2日に自らナポレオン1世皇帝として即位することになった。この日以降、自分の帝国をさらに広げようとするナポレオンの野望が再び浮び上がることになった。ナポレオンはイングランドを占領しようと再び計画をたてた。
ネルソン提督の絶え間ない追撃

その当時、ナポレオンの艦隊はフランスのブレスト,ロセポート,トゥーロン港とスペインのカディス,フェロールに散らばっていた。イングランド艦隊はこれら港の要所でフランス艦隊を監視していた。スペイン-フランス連合艦隊はカリブ海で連合することにしたが、これはイングランド海峡を渡る間イングランド艦隊の関心を他の所に回すためだった。スペイン-フランス連合艦隊の総指揮官だったヴィルヌーブ提督の艦隊はトゥーロン港にいて、これをネルソン提督が監視していた。ヴィルヌーブ艦隊は1805年3月30日、ついにトゥーロンからネルソンを締め出して出港して大西洋へ向かった。ネルソン提督がこの事実を悟ったとき、彼はヴィルヌーブ艦隊が地中海に行ったと思い、エジプト付近へ艦隊を動かした。しかし、すぐに自分の過ちを悟ってヴィルヌーブ艦隊を追いかけ始めた。一方、カディス港にいたスペイン艦隊は港を抜け出してヴィルヌーブ艦隊と連合することになる。
イングランド侵略計画の失敗
ナポレオンは5ヶ月間フランス-スペイン連合艦隊の到着を待っていた。ナポレオンがイングランド侵略に全力を注いでいると、オーストリアとロシアが連合してフランスを侵略しようとした。ナポレオンはイングランド侵略をあきらめて軍隊を動かしてドイツへ向かった。また、彼はヴィルヌーブ艦隊に地中海に入ってフランス地上軍を助けるように命じた。
海戦の前後状況
艦隊と司令官
イングランド艦隊 | フランス-スペイン連合艦隊 | |
---|---|---|
司令官 | 総司令官: ホレーショ・ネルソン提督, コリンウッド提督 | 総司令官: ピエール・ヴィルヌーブ提督 |
艦隊 | 総32隻の戦船 | フランス艦隊:26隻, スペイン艦隊: 15隻 |
戦闘の開始
10月21日にネルソンのイングランド艦隊はスペイン沿岸のトラファルガー岬でヴィルヌーブ艦隊とぶつかることになった。ネルソン提督は自分の艦隊をウェザーとリー分隊に分けた。彼はウェザー分隊を率いてコリンウッド提督にリー分隊を率いさせた。
イングランド艦隊がフランス-スペイン連合艦隊に接近してくるや、ヴィルヌーブ提督はカディス港へ再び帰ることを命じ、このために彼の艦隊は北から南へ長く垂れた戦法形態を帯びることになった。この時期にこのような戦法形態は最も一般的なものであったが、戦船の両側の船べりを敵へ向かうようにしてこそ艦砲射撃が可能だったためだった。
ネルソン提督の計画によりイングランド艦隊はフランス-スペイン艦隊の中間部分を切って西から切って入った。 ネルソン提督は風向きが変わっているということを知り、このためにイングランド艦隊は速い速度で転地していくことができた。ネルソン提督が率いるウェザー分隊はヴィルヌーブ提督の船であるビューサントルの前を切って入り、コリンウッド分隊はさらに南を切って入った。コリンウッド分隊の目標はスペイン司令官の船を破壊して、ネルソンの攻撃に散った戦船を攻撃するというものだった。
ネルソンの分隊のうち2隻は本隊が方向を変えて南に降りて行きながら攻撃を始めると、ヴィルヌーブの船より前に前進していた船を攻撃し、コリンウッド分隊は後を追っていたスペイン艦隊の分隊と対抗することになった。交戦が熟する頃の1時15分頃、ネルソン提督が狙撃手が撃った銃にあたった。ネルソンのウェザー分隊はフランス艦隊の中間部分にあった船を撃沈させ、早く分隊から離れて戦っていた2隻がいる所へ向かった。これと交戦中だったフランス艦隊の分隊はネルソンのウェザー分隊が自分たちの方に向かってくるや退却した。ネルソン提督は船長のトーマス・ハーディが見守る中で4時30分に息をひきとった。
結果
トラファルガー海戦の影響
イギリス人はトラファルガー海戦での勝利を数百年の間祝ってきた。イギリスの有名な石像のうちの一つは、この海戦を勝利に導いたネルソンの石像で、イギリスの首都ロンドンにあるトラファルガー広場にある。2005年にはトラファルガー海戦200周年をむかえて、イギリス海軍は世界海軍艦隊展示,ルミナリー祝祭などの行事を盛大に開いた。
参考資料
ウェブサイト
- HMS Victory : http://www.hms-victory.com/
- National Archives : Trafalgar Ancestors : http://www.nationalarchives.gov.uk/trafalgarancestors/
- BBC history : http://www.bbc.co.uk/london/content/articles/2005/04/21/nelson_feature.shtml
- BBC News : http://www.bbc.co.uk/hampshire/content/articles/2005/05/17/trafalgar200_feature.shtml
- Napoleon.Org : http://www.napoleon.org
- Nelson Navy : http://www.nelsonsnavy.co.uk/battle-of-trafalgar.html