両親に対する親孝行

両親に対する親孝行

李舜臣は朝鮮最大の危機状況から国を救った英雄だが、一方では限りない孝行心を持った息子だった。彼において、両親は自分を生んで育ててくれた、だから扶養の義務をしなければならない対象である前に人生の本質であり、理由になった。

李舜臣は39歳のときに父が亡くなったが、任地が遠く険しかったため、50日が過ぎたあとに訃報を聞くことになる。故郷へ帰ってから成服(葬式)を行って3周忌を行った。

以後、李舜臣は白衣従軍を命じられた罪人の身分であったため、母の葬式をまともに行うことができる立場ではなかった。しかも禁府都事は出発を催促していた。そのため母の葬儀をまともに行うことができずに離れることになった。戦乱の中で無実の罪で罪人の身分になるつらい状況で母を失った悲しみは李舜臣を深く傷心させた。しかし、李舜臣は母を失った状況でも戦乱で国を救わなければならないという思いで最後まで任務を遂行した。

このように彼の孝行心は忠とお互いに分離されないまま、お互いが不可分の関係にあった。限りない親孝行と共に国家に忠誠をつくすのはやはり一つと見た。母を思う切実な心が祖国に向かった愛と戦場で自分までも犠牲にする滅私奉公の精神に昇華されたのだった。

Sipgyeong-do (Filial man of Chungmugong) 十景図 - 忠武公の孝行心