再起用と鳴梁海戦

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再起用と鳴梁海戦

元均の敗北の知らせが朝廷に知らされるや、朝野が驚いてどうしていいか分からず、また李舜臣を統制使に起用することになった。統制使に再任用された彼は、南海などの地をあまねく見回したが、残った兵士120人に軍用船はせいぜい12隻に過ぎなかった。

しかし、失望せずに朝廷の引き止めにもかかわらず、海上で敵を迎え撃つことを決心した。鳴梁海戦に先立ち、将兵に必勝の信念を呼び覚ましたあと、8月15日、13隻の戦線と貧弱な兵力を率いて鳴梁で133隻の敵軍と戦闘を繰り広げ、敵船31隻を破壊する大きな戦果をあげた。この戦闘は李舜臣が再度三道水軍統制使に赴任したあとに収めた初勝利であり、士気が下がった朝鮮水軍を再起させるのに決定的な役目を果たした。

鳴梁大捷で制海権をまた掌握した彼は、宝花島(宝花島:木浦の高下島)を本拠として、翌年2月に古今島に軍営を移したあと、兵士を移して鎮を設置し、国民らを募集して屯田を耕作させた。これによって将兵らがまた集まり、難民らも列をなして帰ってきて数万を成した。軍鎮の偉容も以前の閑山島の時期に比べ、10倍を凌駕するほどの勢力を成した。このように短期間に制海権を回復して水軍を再起させることができたのは、ひとえに彼の血のにじむ努力によるものだった。

鳴梁海戦 鳴梁海戦